1703年1月30日(旧暦元禄15年12月14日)は赤穂浪士討ち入りの日です。
歴史的に有名な事件が起こった日のホロスコープを見てみましょう。
(時刻不明で作っているので太陽が1室に入っています)
何やらとんでもなくまとまりのいい、わかりやすい座相ですね。
水瓶座の太陽が水星&金星と合。
その軸を牡羊座の火星(戦士、武士)、木星(宗教的権威)、土星(政治的な重鎮)、海王星(隠居、社会的弱者)などの天体が調停。
大衆を表す月が弱者に寄り添う蟹座に入り、牡羊座の四天体にスクエアでプレッシャーをかけています。
政府の重鎮や寺社勢力、武士や老人などはその言葉も聞いて、討ち入りに対する赤穂四十七士の処遇を将軍に進言していったのでしょう。
1月30日(旧暦12月14日)の夜半、堀部安兵衛及び杉野十平次の借家に集合した浪士たちは着替えて、翌日の31日寅の刻に家を出て出発。
寝静まる吉良邸に押し入り吉良上野介を発見し殺害。
そこまで約二時間ほどと言われます。
吉良氏が殺害されたのってだいたい夜明け前の5~6時ごろなのかな?
5時より前ならちょうど冥王星が死を司る8室に入っています。
すでに隠居だったとはいえ、その死が幕府に激震をもたらすのだから、その時間っぽい気がしますけどね。
ちなみに赤穂四十七士に撃たれ、近年まで悪役扱いだった吉良上野介ですが、ホロスコープを見ると、そんなに悪い人じゃないのよね。
むしろ松の廊下で彼に切りかかった浅野内匠頭の方が、ホロスコープ的には癖が強い感じです。
左が吉良さん―1641年10月6日(寛永18年9月2日)
右が浅野さんー1667年9月28日(寛文7年8月11日)
どちらも太陽天秤座、に十歳くらいの年齢差はあれど誕生日は近かったのですね。
吉良の太陽はオーブをゆるくとれば火星と合。
権力者の覚え愛でたい感じのホロスコープです。
水星と火星の合はもしかしたらちょっと口が悪かった?
蠍座の月は味方には優しいけど、敵とみなすと容赦ない人柄だったかも?
浅野の方は太陽が冥王星とスクエア、大きな力によって運命が暗転する兆しがあります。
気になるのは水瓶座の月と天王星に獅子座の火星がオポジション。
突発的な感情の爆発に要注意。
ひどい癇癪持ちだったという評判は当たっているでしょうね。
あだ討ちの中心人物、大石内蔵助のホロスコープも作ってみたかったのですが、正確な生年月日がないので断念(>_<)!
残念です。
悪役とされた吉良上野介は地元では名君だったとの話です。
グランドトライン持ちの安定した運勢と人柄を持った人が、突然の襲撃で命を奪われました。
吉良さんのホロスコープと襲撃日のホロスコープを合わせてみると、吉良さんの太陽に火星、木星、海王星がオポジション。そして突発事項を表す彼の天王星が、冬至の太陽、水星、金星とスクエアなどが関わっていたのかな?
いずれにせよ、古い歴史観によるレッテル張りは見直していった方がよろしいでしょう。
それではまた<(_ _)>。