
今回からしばらくスピリチュアルでよくある言説について何回かに分けて述べさせていただきます。
スピリチュアルや子育ての界隈で、一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか?
「子どもは、お母さん(お父さん)を選んで生まれてくるんだよ」という説。
数年前、胎内記憶をテーマにした絵本やその作家さんが大きな話題となり、メディアやオリンピック関連のイベント起用を巡って大炎上・辞任劇にまで発展した騒動をご記憶の方も多いかもしれません。
江原啓之氏をはじめとする多くのスピリチュアリストも、昔からこの説を好んで語ってきました。
一見すると「命の神秘」や「親子の運命的な絆」を感じさせる心温まるストーリーに聞こえます。しかし、占いやスピリチュアルに興味と批判の両方から見ている私から言わせればこれほど罪深く、そして都合の良い言説もなかなかないと思うのです。
スピリチュアルの「言ったもん勝ち」構造
基本的にスピリチュアルの世界というものは、科学的な証拠を示すことができません。
証明もできなければ、反証(「そんな証拠はない」と証明すること)もできない。つまり「言ったもん勝ち」の言いたい放題が可能なジャンルなのです。
幼い子どもが「お空の上からお母さんを見ていて、この人がいいと思って選んだの」なんて言えば、大人は「なんて神秘的!」と感動するでしょう。けれど、子どもというものは大人が期待する言葉や、親が喜ぶ顔を敏感に察知して喋る生き物です。それを「神聖な真実」としてパッケージ化し、書籍やビジネスにして売り出す手法には、強い違和感を覚えざるを得ませんでした。
結局は「産んだだけで私を肯定してほしい」という自己満足
では、なぜこの説がこれほどまでに一部の母親層に爆発的な人気を博すのでしょうか?
結論から言えば、「ただ産んだという事実だけで、自分という存在を無条件に肯定してほしいから」でしょう。
子育ては正解がなく、日々の孤独や罪悪感との戦いです。感情的に怒ってしまったり、上手くいかない現実に直面した時、「子どもがあなたを自ら選んで生まれてきた」と言われれば、強烈な免罪符が得られます。
しかし、これは本来「親がリスクと責任を負って子どもを育て、愛する」という一方通行の責任関係を「子どもが親を助けるために、許すために生まれてきた」という主客転倒にすり替えてしまっています。親の側の罪悪感を消し去るために、子どもの存在が都合よく利用されているように見えて仕方がありません。
悪質すぎる「自己責任論」と二次加害
さらに恐ろしいのは、この論理を突きつめた先にある残酷さです。
「子どもが親を選んでくる」という理屈を肯定するならば、過酷な虐待を受ける子どもや、痛ましい事件・事故に巻き込まれる子ども、重い病気や障がいを持って生まれてくる子どもたちも「すべて自分が選んでその親や環境を選んだ」ということになってしまいます。
これは、親や社会の責任をうやむやにし、傷ついている弱者(子ども)に対して「あなたが選んだのだから」と自己責任を押し付ける、極めて悪質な二次加害です。
現実の子育てという泥臭い苦労や課題から目をそらし、「私たちは運命で結ばれた特別な親子」というスピリチュアルなファンタジーに浸ること。それは、目の前で生きている一人の独立した人間としての子どもを見ず、自分の承認欲求を満たすための道具として消費しているに過ぎないのではないでしょうか。
スピリチュアルについての批判記事、もう少し続けます。
次回は、これまたスピ界で大人気の「魂の年齢(進化度)」というマウント構造について語っていきたいと思います。
それではまた<(_ _)>。