645年6月12日(新暦7月10日)は『乙巳の変』という古代日本において大事件が起こった日です。
昔は『大化の改新』とよばれていましたが、これは蘇我一族を中大兄皇子が滅ぼしたのち国の体制を新たに作り変えていったことを指し、今は区別されています。
『乙巳』とは十干十二支で『乙(きのと)』と『巳(み へび)』にあたる年でそう呼ばれていて、ことしも実は『乙巳』なのです。
十干十二支は60年で一周します。
それを23回(1380年)廻ったのが今日なのですね。
ここは西洋占星術ブログなので当日のホロスコープを作ってみましょう。
いやあ、なかなか波乱の多いものでした。
645年6月12日(新暦7月10日)
飛鳥板蓋宮で三韓の使者を迎える儀式のときに、蘇我入鹿が暗殺されます。
起こった時間がわかるともっとくわしく鑑定できますが、時間は特に記されてませんので、12時に合わせました。
それでもすごいです。
かに座の太陽が水星と合。
それにやぎ座の火星が180度でオポジション。
太陽は国家元首を表します。
当時は事を起こした中大兄皇子(のちの天智天皇)の母、宝皇女が天皇位についていました(皇極天皇)。
彼女はこのクーデターについては知らされておらず、突然の息子の蛮行におびえ殿中に引っ込んでしまったと言われています。たしかにこのアスペクトを見ると、女帝がなにも知らなかったというのは本当のような気がします。
若い男性や兵士などを表す火星は太陽の反対側にいますからね。
この軸に対しておうし座の土星と冥王星が調停の座相で小三角を形作っております。
このクーデター事件には様々な黒幕説があります。
太陽(国家元首)を超える超権力を表す冥王星や、老人及び重鎮を表す土星がやさしい角度をとっているので、あるいはと想像させるアスペクトです。
こちらはクーデターを起こした中大兄皇子と中臣鎌足の出会いのシーンのイラストです。
同じく飛鳥時代の記事を張っておきますので、一緒に読んでいただければ幸いです。
この記事で扱っている聖徳太子こと厩戸皇子の一族は蘇我入鹿に滅ぼされました。
上宮王家(聖徳太子の一族)をほろぼしたことが、蘇我氏の人望が落ちた原因でもあり、乙巳の変の遠因ともいわれております。
それではまた<(_ _)>。